息子が5歳になるくらいまでの記憶がない。
思い出そうとすると脳の奥がミシミシと音を立てるのがわかる。それでも強烈に覚えているのは、夜中に2ちゃんねるの『子供を捨てた母親』というスレッドをずっと眺めていたということ。毎晩「私は違う」と思ったり「こうなってしまうかもしれない」と思ったりした。
息子は、抱っこをすると反り返り、四六時中動き回るような元気な子だった。夜はほとんど寝てくれず、私は昼も夜も眠くて仕方がなかった。思っていたより子供が全然可愛くない事に、びっくりした。周囲のママを見ていても、「楽しそうな育児」をしている人しか目に入らない。私だけが楽しくない育児をしていると思った。
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そんな息子が14歳になる。これまで何度も書こうと思ったがどうしても書けなかった子育ての事を、今書いておく。この文章は、14年前の私と同じく、今「子供を捨ててどこかに行ってしまいたい」と思っている人に届けばいいと思う。
人生が二度あれば
高校生の時、井上陽水の「人生が二度あれば」という曲を初めて聞いた。衝撃的な歌詞だった。隣にいた父に「この歌詞の親は惨めな人生だ」と話すと「子供の為だけに年を取る、それのどこが惨めなんだ? 幸せじゃないか。最高の人生の歌だ」というようなことを言われた。
母は今年九月で六十四
子どものためだけに年取った
母の細い手 つけもの石を持ちあげている
誰の為にあるのかわからない
子どもを育て家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば
(人生が二度あれば/井上陽水)
息子を産んでから、その事を何度も思い出した。私の未来に、そう思える日は来るのだろうか? 私は今もうすでに、誰の為にあるのかわからない『惨めな人生』を歩んでいるのではないか。考えれば考えるほど、苦しくなった。
息子は自閉スペクトラム症だった(LDとADHDも)。生後間もない頃、しっかりした知識がなく、またその当時発達障害に関する情報自体少なかった。ただひたすらに耐えればいいと思っていた私は間違えた子育てをしていたかもしれない。親から貰った愛情というバトンをきっちりと息子に渡せない、息子が受け取ってくれない、子育てが楽しくない、それは私自身に問題があるのだと思っていた。
一進一退、毎日毎日どこに向かって進んでいるのかもわからなかった。通級教室、放課後デイサービス、児童思春期外来、大学病院、心療内科、小学校、保育園、児童相談所、教育支援センター、支援級。ありとあらゆる場所に足を運んだが、すぐに悩みを解決してくれる場所はどこにもなかった。
よく私は子育て以外の悩みを抱えた時に「半年後、同じ事で悩んでいるか?」というような事を考える。なぜなら大体の悩み事は、半年後には解決している事ばかりなのだ。けれど子育ては違う。半年後、1年後、10年後だって同じことで悩んでいるに違いない。そうとしか思えない。
だから、子育てに関してはいつだって「今日を過ごすこと」という言葉を胸に持つようにした。将来の事は考えると気持ちが暗くなるから考えない。明日の事を考えると苦しくなる。未来の見通しは立っていないけれどそれでもいい。今日をただ過ごすこと。
甘いものを食べる、美味しいピザを頼む、外の空気を吸う、起き上がれない日があってもいい、息子と私が生きていればそれでいい。とにかく「今日」を毎日積み重ねる。それだけを考えて、14年間生きて来た。
それでも耐えられないような出来事は毎日のように起きる。寝ても覚めても、私の人生は息子に左右されている。どうにもならない時は素直に言葉にするようにした。「苦しい」「助けて」。
ピークに辛かった時は、児童相談所に電話をかけて「このままでは子供を殴ってしまいます。殺してしまいます。助けてください」と自ら名乗り出た。職員は毎月私の長々しい話をよく聞いてくれた。小学校の担任の先生はこっそり連絡先を教えてくれて「苦しかったらいつでも連絡ください」と言ってくれた。離れて暮らす親にも、姉弟にも、何度も話を聞いてもらった。恵まれていた。家族だけでなく、地域の人たちも、私たちをよく助けてくれたと思う。
私の子育ては、周囲に「助けてくれ」と叫び続けることでやっと成り立っていた。泣いて、叫んで、怒って、ひねり出すように笑う日々だった。
「もう無理。ひとりになりたい」。何度も思った。今ではそれを息子に申し訳ないと思える余裕がある。
その時は本気でそう思った。これからも思う日がくるかもしれない。けれどそういう風に思う日が、毎日から週1になり、月1になり、最近ではほとんどなくなった。息子の近年の様子に関しては、誰が読むのかわからないのであえて特筆しないでおく。ただ私は、過去の私が一切想像できなかった未来に今、立っている。
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もしも、私と同じような人にこの文章が届いたら。
子育てが苦しいことも、子供を殺してしまいそうになることも、子供が可愛くないことも、全部誰かに伝えて欲しい。
「子供を愛している」という感情と「子供が可愛くない」という感情は、一人の人間の中に、同時に存在する。それはおかしいことではない。そう思ってしまう状況というのはこの世に確かにある。
その上で私は、あの日々をしっかりと生きていてよかったと思う。息子が生きていてくれてよかったと、心から思う。
そして過去の私に伝えたい。惨めじゃない未来で、待ってる。
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後日談。
http://oikawaichino.com/archives/31