ワクチンを打って心筋炎になったので休職している。
新型コロナワクチン接種からの7ヶ月の間に、何度も使ったセリフだ。どうして寝込んでいるのかと聞かれたときに一番ちょうどいい言葉が『心筋炎』だった。
けれど本当に心筋炎だけがワクチン後遺症(ワクチン長期副反応)なのかというと、全く違う。実際には謎の倦怠感や、毎日の蕁麻疹、呼吸困難に、ぞわぞわ感、めまいに動悸、不眠と、一言で説明できないものたちがわたしの身体を支配している。
たった7ヶ月の地獄で
もっともつらかったのは、先ほどの症状たちに加えて、抑うつ感があることだった。「もう無理だ、この身体で生きていけない」「死にたい」「死んだらごめん」、何度もそんな言葉を使った。家族を傷つける最低な言葉たちだと思う。
そんな折、慢性蕁麻疹に対する注射『ゾレア』を打った。保険適用で2万円という価格が鬼設定の新しい治療だ。これがわたしには劇的に効いた。これまでの抑うつ感や倦怠感、もちろん慢性蕁麻疹もピタリと止まった。
わたしはわたしの身体を取り戻すことに成功したのだ。7ヶ月と2万円で。
これで完璧に以前の体に戻った!! と、言いたいところだが、実際にはそうでもない部分が残っている。7ヶ月の間に染み付いた「死にたい」思考の癖だ。
少し話が逸れるが、ワクチン後遺症などないと断言している医者がたくさんいるらしい。わたしはそのような記述を見かける度に、「もう一度目の前でワクチン打って死んでやろうか? そうなったら認めるのか??」と、思っていた。再度ワクチンを打とうものなら、即死する自信がある。後遺症と共に不要な自信を植え付けられている。
話を戻す。
現在のわたしの思考の癖だが、これは本当にワクチンは関係ないと思う。前述のワクチン後遺症否定派の医師に「それはあなた自身の問題ですね」と言われたら、「ですよね~~!」と答えるだろう。
長い人生のたった7ヶ月の間に染み付いた「もう無理、死にたい」と思う癖がなかなか抜けなくなった。数日前には、「あ~~掃除めんどくさい! もう死のう!!」と、思った。
なんでだよ、展開雑かよ
呪いの言葉
本来人間とは、A→B→Cと、物事を順序だてて考える生き物だと思う。その順序みたいなのが全部取っ払われて、勝手に「死」に帰結してしまう。感情が高ぶると、自動的に死が連想される仕組みができてしまったようだ。これは実際に死と隣り合わせの日々を送ってきたからなのか、いまだ精神が弱り切っているからなのか、わからない。
思い返してみると、闘病中わたしは毎日のように「こんな体になったのはきっと何か大切な気づきがあるんだよね」「このあととてつもないいいことが待ってる気がする」「この経験がきっとまた人生を豊かにするよね」などと、スピリチュアルめいたことを話していた。言葉については前向きに聞こえるが、いつもポロポロと涙をこぼしていた。
どうにかして前向きな言葉を使わないと、精神が壊れてしまいそうだった。実際に半分くらい壊れかけていたから、「死にたい」だなんて口にしていたのだろうし、自分なりに精一杯頑張っていたと思う。
それなのに。
あんなに辛かった身体から抜け出してもまだ、ことあるごとに死の言葉が頭に浮かぶ。
大切な人生に対してこの仕打ち。地獄の7ヶ月を経て、わたしは自身を大切にできなくなってしまった。
言葉は薬にも毒にもなる。「死にたい」はわたしが自身にかけた呪いだ。呪いだけがどうしても消えない。身体は元気になったのに、心がついてこない。
ラバーカップを持った夫
そんなある日、突如自宅のトイレが詰まった。大量の便と水が溢れそうになっている。わたしはいつも通り前述の思考の癖を発動させ、嘆きを通り越して絶叫していた。
深夜1時頃の話である。
隣にいた夫が「はなちゃんがラバーカップを買ってくるよ!」と、言い出した(夫は一人称がはなちゃん)。それから15分くらいだろうか。ラバーカップを持った夫が現れ、あれよあれよとトイレの詰まりを解消した。誰のものかもわからない便の中にラバーカップを突っ込み「お、いいぞ」と便器に声を掛ける夫の姿は、人生そのものであった。
いきなりの急展開に、いや、ここでも思考雑じゃん! と、思う方もいるかもしれないが、本当にそう感じたのだ。うまく言葉にできないが、人生ってこういうことの積み重ねなのだと思った。ふとした瞬間に誰かが救いあげてくれて、前を向く。
その後夫は早速トイレに入ろうとしたわたしに「また詰まったら呼んで」と言った。かっこよすぎる。救世主、ここに現れたり。
「やっぱりわたしの人生には夫がついているから最高だな、強く生きよう」と、ようやく思った。死の先の結論を導き出すことができたような気がする。
人生は何があるかわからない。ただ、ラバーカップで解決する問題もある。トイレの詰まりと、死にたい癖には、ラバーカップだ(?)。
何が言いたいのか全くわからなくなってきたが、「この人はワクチン後遺症が寛解し、元気に生きているんだな」ということが伝わるとうれしい。
いつかまたあの変な思考の癖が出てきたら、ラバーカップを持った夫を思い出して、前向きになれるといいなと思う。