2年ほど前Facebookで急に「ごめん。今夜電話してもいい?」と、私宛に投稿した友人がいた。なぜFBに投稿?という疑問はあったが「いつでもどうぞ」と返事をした。彼女の口癖は昔から「ごめん」と「ごめんなさい」。電話でも開口一番「謝らないでって言われることわかってるんだけど、謝らせて! ごめん」と言った。
何に対しての謝罪なのかというと、「自分が困っているときだけ頼ってしまって、そのことに対して謝っている」のだという。なんでも、浮気している夫が全然帰ってこなくて、2人の子供を抱えて離婚するらしい。自分自身はここのところ酷い躁鬱状態で、頭の中の情報がまとまらない、と話した。
彼女は地元の友人で、福岡に住んでいるときは家族ぐるみでグループで遊ぶ仲だった。結婚式にも参列したし、もちろん彼女の夫とも面識がある。私が上京してからはしばらく疎遠になっていたが、いつの間にかそんなことになっていたなんて。
「ほかに誰かに相談したの?」と聞くと、「誰にも言ってない、恥ずかしくて」という。「最初に浮気を知ったときは、絶対に別れませんからねって言ったんだよ。でもどんなに頑張ってもどうしてもダメだったんだ」。その言葉を聞いたときは、息が止まった。彼女がそんなにも苦しい状況をひとりで乗り越えようとしていたという事実に、胸が詰まる。
その日から彼女と何度も電話をした。躁のときは話がまとまらず、何を言ってるのかよくわからなかった。鬱のときはひどくネガティブで、「死にたいと思ってしまう」と言って泣いていた。
離婚の仕方、養育費の貰い方、弁護士さんへの話し方、児童扶養手当の受け方、生活保護を受けてケースワーカーさんとつながること、発達障害の診断を受けること、手帳を取得すること、仕事はしないでゆっくり生活すること、必要であれば入院をすること、そういった生活に罪悪感を持たないことなど、たくさんのことを話した。生活を整えるために、まずはとにかく色々な問題を解決していく必要があると思った。けれどあらゆる事情が複雑に絡み合っていて、疲弊した彼女にすぐに飲み込める話ばかりではなかった。
ほどなくして離婚は成立したが、生活はなかなかうまくいかない。まず彼女は躁うつがひどくて働けないのに、「生活保護は受けない。お国の世話になるような恥ずかしいことはしない」という。お国って……戦時中か。「何も一生その生活でって言ってるんじゃないんだよ。今はお金のことは心配しないで生活することが一番の治療になるんだよ。治ったらまた普通に働けばいいだけなんだから、全然恥ずかしいことじゃないんだよ」と話しても、彼女には通じなかった。その思い込みや躁鬱の症状も相まって、電話で話した程度じゃ欲しい情報はなかなかもらえない。とにかく行政につなげたかったのでその旨話していても、途中で「この間発作的に丸坊主にしてしまった、もう人に会えない」などと言い出す。驚きと「なんで!?」という突っ込みで、話が逸れる。それを何日も何時間も繰り返した。
彼女は「母親ならば頑張らなくてはいけない」「お金がないから働かないと」というようなことを繰り返し言っていた。その結果、パートに入っては躁がひどくなって辞めて、できない自分に落ち込み鬱になるを繰り返す。更に1年ほど前には親元に引っ越したが、親も鬱になり働いていないのだという。両親との関係性もあまりよくないように感じた。そりゃそうだろう、状況が悪すぎる。
「そのままじゃ家族みんなで倒れちゃうじゃない、生活保護を受けてほしいよ」というと「そうなの、娘の精神状態も大変で。でも娘があなたと連絡を取りたがっていたからLINEを教えていい?」というように、また話が逸れる。(これがきっかけで娘ちゃんとは時折たわいもない話をするようになった)。
話を聞く限り、おそらく友人には発達障害があって、二次障害による躁鬱状態なのではと感じているのだが、そのことについて病院に相談しても「気のせい」と言われたらしい。なぜ? 困っているんだが? 発達障害って本人の困り感で決まるのではないのか?
こんなとき近くにいないとしんどい。付き添って説明してあげることもできない。とにもかくにも医師に気のせいと言われてしまっては「私がそそっかしくてダメだからこんなことになった」などとよくない思い込みが始まってしまう。しかし私が診断できるわけではないし、できることは電話とLINEで励ますことと、相談先を伝えること以外なかった。
けれどその意味があるのかわからない電話を何度も何度も繰り返し、この度やっと精神障碍者手帳の取得ができ、障害年金がおりることになったと報告を受けた。彼女の親もいくらかよくなったようだ。よかった。ここまで長かったけれど少し進んだ。最悪な状況は免れたと思う。もちろんだからといってすぐに状況が変わるわけではないが、まともな相談員の人が近くにいるということは確かだ。それだけでもだいぶ違う。
報告を受けた際に「坂口恭平さんという方があなたと同じく躁うつ病になったんだけど、畑仕事をしていたら寛解したみたいよ。生活が落ち着いたら、自分にとっての薬みたいなのをあなたも見つけられたらいいね」と話した。すると彼女は、「実は偶然にも今畑を作っていて、芋ができたら東京に送ろうと思っていたの。でも今年は失敗しちゃったみたい」という。(数日前にいきなり「野菜ごめん」とLINEしてきていたのはそれか)。「じゃあ来年は食べさせてよ」というと、「来年必ずあなたにあげるね!」だって。
よかった。来年も生きて! 芋待ってるよ!
―――
彼女はいい母親であり、いい妻だった(今もいい母のままだ)。自身がミスをしやすいという傾向を気にして、色々な対策をとりながら育児や生活そのものをとても頑張っていた。正直元夫である男性には憤りが止まらない。もちろん夫婦のことは当事者にしかわからないことだらけだが、それを差し引いても許せないことをたくさん聞いた。子供を二人も作っておいて、無責任にもほどがある。男が逃げられる社会制度、どうにかならんのか。こういう風に傷つけられた経験というのは、何年も心の中に残り続ける。気軽に人の人生を踏みにじるなと言いたい。
彼女のように、適切な支援が受けられない人は社会から見えないところに隠れていて、実際にはたくさんいるんだと思う。ひとりでも多く、救い上げられる方法がほしい。自分に力がないことが空しい。