育児のこと

新一年生娘による、小学校に関する考察

6年前、娘が生まれたとき「天使が来た」と思った。比喩ではなく、本当にそう思った。なぜなのかわからないが、娘は自分の子供ではないような気がした。天使なのか、太陽の子なのか、そのどれでもないのか。とにかく「この世のものではないものがなぜか自分の元に来てくれた」と思った。

序盤からスピってしまい大変申し訳ない。元来自分はそのようなタイプではないが、これ以外の表現方法が見つからないので許してほしい。

娘を叱ったことはほとんどない。彼女は自分で考えて自分で学習していく。つまり叱るタイミングがない。私が叱られたことは何度かある。4歳の時、「ぴぃちゃんがトイレからママのことを呼んだら、必ず返事をして。ママが返事をしないと泣きそうになる。そんなことで泣きたくない。ママが返事をすればいいだけのことだから」と言われた。

確かにそうだなと思った。声が聞こえなかっただけだったのだが、「そっか、ではこれからは絶対に返事をするように気を付ける!」とかなんとか、答えた。

娘はこんな感じで常に自分の問題と向き合い、解決策を提案してくれる。自分で自分の生活をしやすいように改善していく。完全無欠だな、と思う。

そんな娘が、小学校を休んだ。入学式から4日後の話である。

入学式から振り返る

入学式の日、私は小学校の配慮のなさに愕然とした。ここは主題ではないので割愛するが、とにかく「なんかわかんないけど適当に物事が流れていく場所だ!」と思った。少人数制、家庭的な保育園で6年間過ごした後の、雑多な小学校。あまりのギャップに家に帰ってひとりで泣いた。保育園に帰りたいと強く思った(私が)。

入学式翌日の初登校。娘は「教室まで送ってほしい」と言った。夫が行くというので、私は玄関で見送った。小さな身体に大きなランドセル。手提げ袋には学童の荷物。こんなに重たい荷物を毎日持てるのだろうか。正直不安を感じた。

15分後、小学校から帰宅した夫が「校門の前で行けないと泣き出して動かなかった。結局校長先生が連れて行ってくれたよ」と言った。あまりのショックに後頭部から倒れ落ちるかと思った。

その日は一日中ずっと胃が痛かった。帰りは民間の学童保育に通う。車で送迎してもらう予定だったが、心配のあまり迎えに行った。娘はケロッとしたもので、「同じ保育園の子たちと遊んでめっちゃ楽しかった!」と言っていた。少し、ホッとした。

母子分離不安のような症状

2日目の登校には私が着いて行った。現状を把握しておきたい思いが強かった。前日と同じように娘は校門の前で立ち止まる。「ママも一緒に中に入って」と言う。近くにいた教員に尋ねると入ってもいいとのことなので、一緒に靴箱まで歩く。上靴を履き替えると、娘はやはり泣き出した。

「ママがいい。ママがいい」。泣き顔を見て、私まで哀しくなった。先生たちが駆け寄ってくる。けれど、娘は動かない。と、そこで同じ保育園に通っていたSちゃんがやってきた。「ぴいいちゃぁあーーーん!」と、靴箱中に聞こえる大声で叫んでいる。Sちゃんの声を聞くと、心の底からホッとした。Sちゃんさえいれば安心だと思った。

「ぴぃちゃんママ、大丈夫ですからね! 私にまかせて!」。Sちゃんの頼もしい言葉が胸に染みる。

しかし娘は泣き止まなかった。それどころか「ひとりはイヤッ!!!!」と叫んでいる。まってくれ、今君の周りには先生が2人とSちゃんがいるではないか。ママ以外はノーカウントなのか? 厳しくない?
結局娘は教室に行っても私の隣を離れることができなかった。最終的には六年生のお姉さんたちに両脇から抱えられ連れられていった。娘は捕らえられた宇宙人のような恰好をしながら「ママがいいよぉおおお~~~!」と絶叫していた。ここは地獄か。

こちらまで泣きそうだ。激しい胃痛を感じる。自宅に戻ってから、夫に一連の流れを話すと「嘘でしょ? そんなに??」と言う。私だって嘘であってほしい。それからは2時間ほどGoogleの検索バーに「母子分離不安 症状」と入れてネットの海を彷徨った。どうやらこのまま放っておくと不登校に繋がりそうだと書いてある。

完全無欠のぴぃちゃんが? マジで?

と、思ったのもつかの間、午前中に帰宅した娘は「もういやだよ~~~~!!!」と言ってマンションのエレベーター前で泣いた。「もう何もかも無理!」だという。この日は習い事が2つあったので学童はなく直帰だったが、どうやら習い事も無理そうだと話す。すぐにピアノとダンスをお休みする連絡をした。

落ち着いてから本人にヒアリングすると、「学校→学校付属の学童→民間の学童の流れならいいが、学校→帰宅は無理。せめてママに迎えにきてほしい」とのことだった。ならばと小学校付属の学童に連絡し、週5で待機させてほしいと伝えた。民間の学童がない日は迎えにいくためだった。

小学校の連絡帳には「母子分離不安のような状況で、不安ばかりだと話しています。大変かとは思いますが、多めに声がけをしてくれると助かります」と書いた。民間の学童の連絡帳には、「不安が多いようなので、慣れるまでは、送迎を1番早い時間に早めてください」と、書いた。

その日は「今日1日小学校をがんばったぴぃちゃんのやりたいことを全部やろう!」ということで、私も仕事を休んで娘に付き合った。彼女の好物の焼肉を食べ、川沿いを散歩し、鯉に餌をあげた。たくさん話を聞いてあげてとネットに書いてあったので()、その通りにした。娘が気に入った靴があったのでプレゼントした。お気に入りの靴なら小学校も楽しいかもしれないと思った。

時間割はどこなんだよ

3日目。新しい靴を履いて、娘は嬉しそうに学校に向かった。そうなのだ。娘は本来「毎日友達と遊びたい」と言うくらい、とても明るい性格なのだ。小学校もきっと大好きになる、そんな要素が満点の新1年生なのだ!!

この日は夫が送っていった。娘の抱える不安が母子分離によるものだとしたら、私がついていくのは逆効果な気がしたためだった。15分後、夫から「教室まで送ったら、普通に席についてたよ」と報告を受けた。やっと少し胃痛が収まった気がした。

だがしかし。その日帰宅した娘から衝撃の言葉を聞く。「ぴぃちゃんだけ体操服なかったの。恥ずかしかった」。

チョマテヨ?? どういうこと??

実は入学式以来毎日、「時間割は配られた? 明日は何を持っていけばいいの?」「みんなは連絡帳に時間割を書いているんじゃないの?」と娘に尋ねていた。答えはいつも「何も言われてない。連絡帳は誰も書いていない」。娘はこういったことにかなり丁寧なタイプなので(保育園で忘れ物をほとんどしたことがない)、私は全面的に信頼していた。しかしいつまでも時間割は配られない。筆箱と自由帳くらいでいいのかな? と不安に思いつつも、こちらの感情だけで忙しい先生に連絡するのは気が引けると思っていた。

娘に詳しくヒアリングすると、「全部忘れ物をしているからちゃんとお母さんとお父さんに渡してねと言われた」などと言うではないか。驚いて小学校に電話するも、誰も出ない。

娘は母子分離不安ではなく、自分だけ忘れ物をしている状況が耐えられないだけなのでは? なぜこの事態を放置したのだ? 妄想が止まらず、この日はここ数年で最もつらかった。何が起きているのかわからないまま夜を過ごした。

翌朝、娘は起きた瞬間に「もう不安なことしかないから小学校に行きたくない」と泣いた。そりゃそうだよNA!

朝8時になるのを待って、小学校に入電。担任の先生にどういうことなのか尋ねると、なんと入学式の日に時間割が配られたというではないか。しかし入学式以降貰った書類をいくら確認しても時間割は見当たらない。この段階では誰がミスしたのかわからなかった。

小学校に出向く

電話口の担任の先生もかなり慌てた様子だった。

私「誰がどうミスしたかは問題ではないんです。その後の対応について疑問を抱いています。なぜ娘が全教科忘れていると分かった時点で親の私に報告してくれないんですか? 私から何も連絡がないならまだしも、不安が強いようですと連絡帳に書いてきた時点で、お返事に忘れ物のことを記入するでもいいですよね。小学校最初の体育の時間に自分だけ体操服がないって、不安が増すばかりと思います」

先生「いやでも、昨日今日の段階では忘れ物をしている子も多くて、まだ始まったばかりだから大丈夫だよ~って声がけしているんです!!」

……?
話が斜めの方向から返ってくるタイプの人なの? てかそれ時間割貰ってない子が複数いるってことなんじゃ?

およそ5分ほどの電話を切り、午後に小学校に時間割を確認しにいくことになった。対面でも話が通じなかったら学年主任でも校長先生でも呼んで、仲介してもらおうと思った。(めちゃくちゃ気持ちが重かった)。

学校に着くと、すぐに深々と謝罪を受けた。時間割はやはり見たことのないプリントだった。学校側の配布ミスである。先生曰く、親に小学校の準備を強要してはいけないらしい。過去にモンペからクレームでもあったのだろうと推測する。それにしても、連絡帳で「不安がっています」と手紙書いてくる親には報告すべきでは? と思ったが黙っていた。

ともあれ謝罪を受け、マイナスの感情はおさまった。些細なことでもいいので連絡してくれれば家庭でのサポートは出来る限りしますと伝えた。直接話ができてよかったと思う。

娘なりの結論 

無事に時間割をゲットした娘だったが、翌週も2日に1回は小学校を休んでいる 。

私は日々猛烈な不安にかられる。自分の身に起きる不安なことと、子供の身に起きる不安なことは、不安の種類が違う。後者のほうが感情のコントロールが難しい。自分でも同調しすぎていると思う。もう少し、娘は娘と切り離して考えられるようにならなければと反省中である。

そんな中、娘はこう話した。

娘「ぴぃちゃんさ、このまま小学校に行けばお友達ができるような気がしてきたよ」

私「そうなんだ。それはよかった」

娘「それからね、保育園に最初に行った時のことを思い出したの。そのときもぴいちゃん泣いてたでしょう?」

私「そうだね、めちゃくちゃ泣いてた」

娘「それ、慣れてないからじゃん。ぴぃちゃん今そのときと同じだと思うの。だから、慣れたら小学校にも行けるようになると思う。それまでは休み休みがんばろうと思っているんだ」

天才か?

どうやら娘は小学校を休んで、自分なりの考察を重ねていたようだ。その上で「慣れれば大丈夫」という結論を出した。相変わらず彼女は完全無欠なのだと思った。

慣れれば大丈夫。慣れるまでは休み休みがんばる。

私自身、肝に銘じていきたい言葉である。
明日からも、休み休み、がんばる。

ABOUT ME
ichinooikawa
編集・ライター・ステップファミリー・ホームパーティーマニア。猫と夫と息子と娘。20時以降は飲酒している。夫と漫画が大好き。