夫のこと

裸の中年

 夫は裸の中年だ。装備を一切まとわずに裸の心で歩いているので、些細なことで泣いてしまう。
 彼は30歳を超えるまで、大した挫折もなくゆるゆると生きてきたらしい。傷ついたり、裏切られたりといった経験がないので、心に装備をつけるタイミングがなかったようだ。親しみやすい風貌とやわらかい口調の彼だ。周囲の人から存分に可愛がられてきたのだと思う。周囲の人の気持ち、わかる。

 彼はいつも泣いている。関ジャニ∞を見ては泣き、『ザ・ノンフィクション』を見ては泣き、『やべっちFC』を見ては泣いている。一緒になって見ている私は笑っている。泣くと疲れるので涙のスイッチを入れないようにしているのだけなのだが、彼にはその感覚がわからない。

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 先日夫がリビングで大泣きした。息子も一緒に泣いた。その日の記録をnoteに記す。

 最近、中学生の息子が愛猫のYouTubeチャンネルを開設した。動画制作を覚えたいというのでPCとiPhone、ビデオカメラを与えた。毎日学校と部活で忙しいのによく頑張っている。また、彼は自閉症スペクトラム及びADHDであるため、これまで色々な困難があった。何か本人が楽しんで続けられることはないかとずっと模索していたので、私はこの試みが非常に嬉しかった。夫ももちろん大喜びだ。仕事でYouTubeチャンネルを運営している夫は、惜しみなく技術を息子に伝授していた。
 しかしチャンネル開設から7日目。トラブルが起きた。息子が朝起きてこない。どうも夜中にPCでゲーム、iPhoneでLINE電話をしていたようだ。発達障害の子を育てている方ならわかって頂けると思うが、息子のガジェット類を管理するのは非常に難しい。衝動性が強いので、こちらのルールを無視してしまうことがよくある。つまり私にとってこれは予想の範囲内だった。14年間息子を育てているからではあるが、「またか」というような印象を持った。
 このときの夫である。夫とは昨年再婚して家族になったばかりだ。彼は息子の行動にあまり耐性がない。加えて、裸の心の持ち主である。話を聞くなり、「悲しい」「苦しい」と言って泣き出してしまった。それを見て私も悲しくなった。

 夕方になって、息子が「動画を作る」と言ってきたが、私は「うーん。今日はだめかな。理由は自分でわかっているでしょう」といった。息子は黙って自室にこもった。2時間ほど経ってから、彼の部屋で「夜中にゲームをして学校に遅刻させるためにパソコンを貸したのではない。動画を制作するというから貸したのに、本来と違う使い方をしてはいけない」ということを伝えた。息子は黙ってうなずいていたが、夫の話をすると目からぽろぽろ涙をこぼし始めた。「夫、泣いてたよ。息子が頑張っていて嬉しいって泣いてたのに、今日は悲しいと言って泣いてたよ。それでいいの?」と聞くと、息子はキュッと口を結んで、大きく首を振った。
 部屋から出て、息子は夫の方を向いて、「ごめんなさい」と言った。たった6文字で、夫はまた泣いてしまった。
 「悲しかったんだよ!!」。夫は震える声で息子に言葉をかけた。息子はさっきよりもさらに大粒の涙をこぼし始めた。

 息子も泣いているし、夫も泣いている。家にいる男が全員泣いている。しかもなぜか2人とも直立不動で泣いている。なんだこの空間は。色々な事情が絡み合って話が急展開を遂げている。申し訳ないがちょっと笑いが出てしまった。
 けれど、いいなぁと思った。自分のために泣いてくれる人がいるって、いいなぁ。息子は愛されていて、いいなぁ。

 翌日から、息子はまた毎日動画を制作している。夜はちゃんと眠っているようだ。よかった。

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ABOUT ME
ichinooikawa
編集・ライター・ステップファミリー・ホームパーティーマニア。猫と夫と息子と娘。20時以降は飲酒している。夫と漫画が大好き。